朝の電車は憂鬱だ。
制服のカッターシャツだけでは寒かったから、夏が終わってから初めてセーターを着た。
まるで巨大な魚が岸に寄るように、電車がホームに流れてくる。
目の前のドアが開いて、俺は錆色の魚に飲み込まれた。
7時54分。見事にいつもどおりだ。
2両目の進行方向右側3番目のドア。
鞄から読みかけの本を取り出す。
187ページ、6行目から。


行儀の好い爬虫類は真昼間の金盞花に叮嚀で大袈裟な御辞儀をする。
「奇麗な御嬢さん教えて下さい、わたくしめの眼は視えているのでせうか」
「お可哀想そうに、貴方の青い眼には何も映らないでせう、永遠に」
爬虫類は木曜日の朝の海の色の泪を流す。
「嗚、わたくしの眼には何も映らぬ、永遠に、永遠に!嗚!」
金盞花は真珠の様な手を彼の青緑にくるくる光る頬の皮膚に伸べる。
爬虫類の泪は既に一昨日の森の中の泉の色に変つている。
「泣くのは止しなさい、貴方の眼が世界を知らなくても、貴方には賢い心がある」
「それでは、嗚、それではわたくしは救われないのです、貴方が其の手をわたくしの手と繋いでくれなければ」
金盞花はとても悲しそうな顔で爬虫類を見
柿ノ木橋、柿ノ木橋、葛町方面へお越しの方はお乗換え下さい


俺は顔を上げた。
ドアの内側も向こうも人だ。
そして、どっと流れ込む。
魚の中に人がたくさん入ってくる。
魚は満腹になって、ゆっくりと口を閉じ、進む。
俺は本を閉じないままで、目だけで辺りを見回す。
今日は少しだけ空いている。
3駅先の公立高校の制服がちらちら目立つ。
今日はいないのか?
だとしたらつまらない朝だ。
いない、いない

百舌鳥、百舌鳥、進行方向右側のドアが開きます

この駅は人が少なかった。
ドアにもたれている俺は体を離す。
ドアに目を向けたとき、そこに、彼女がいた。

「(彼女だ)」

隣にいたなんて、まったく考えなかった、俺の心臓が死にそうなぐらいどきどきしている。

名前も知らない。
同い年なのか、年下なのか、年上なのか、知らない。
誕生日も、血液型も、好きな季節も、なにも、知らない。
ただ見ているだけの、小学生みたいな恋をしている。

たった30センチが、途方もない距離なのだ。
すこし手を伸ばせば、届くのに。
一言、おはよう、とか、はじめまして、とか、言えたらいいのに。
いつか俺が、手を伸ばして、そしたらその手を繋いでくれたら、俺はそれだけで幸せになれるのに。
こんなに恋をしているのに。
彼女の名前さえきけない、弱い俺が邪魔をしている。

俺は本を読んでいるふりをしながら、自分心臓の音を耳元でききながら、彼女を見ていた。
口の中が乾いている。

すきだ、すきだ、どうしたらいい。
今俺間抜けな顔してないよな?メガネずれてないよな?髪変じゃないよな?
彼女の前だと、いろんなことが、気になって仕方ない。

彼女も本を読んでいた。
耳元の髪をかきあげる。

「(なんかすげぇきれい・・)」

彼女が本を片手で持ったとき、本の中身が見えた。

「あっ」

思わず声が出た。
口元を押さえた。

「(おんな、じ、だ・・!)」

こんなこと、ただの小さい偶然かもしれないけど、

藤ヶ丘、藤ヶ丘、進行方向左側のドアが開きます

俺はどうしようもないぐらいどきどきしてしまう。
長い上りの駅の階段の向こうが、なんだか明るく見えた。










(おひさしぶりですナカジくん!/071101)

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