わたしは、泣き出しそうになるのを必死で堪えながら、白黒の床を眺めていた。
 ビロードの椅子は相も変わらずそこに置かれている。
 そしてわたしも、置かれている。
 極卒は暇らしく、床の上に屍のようにごろりと転がっている。
 そのまま死んでしまうのではないかと思う。
 しかし奴のようなふてぶてしい生き方をしている人間がそう簡単に死なないとも思う。そう願う。

 「暇だな」

 独り言を呟く。
 わたしの足元に居て、わたしの素足(冷たくて白くなっている)の筋に触れている。
 多分、わたしの足を切り裂きたくて仕方ないんだろう。
 どれだけい血が噴き出すか、見てみたいのだろう。
 だからわたしは、枝葉末節の血管にまで神経を尖らせる。
 どんな鋭利な刃に裂かれても一滴も体液を洩らさぬように。

 「何か楽しいことは無いだらうか」

 想像している。
 わたしの足を、紙より薄い刃が裂いて行くのを。
 薄い皮膚が離れ、肉に達する。神経が熱さにも似た痛みを伝えていく。
 傷口がぱくりと天を仰いでいる。
 だらりだらりと血を吐く。
 如何しようとも無く吐き気がする。

 「さうだ」

 わたしはまた極卒に目を遣る。
 喜びを湛えた大きな二つの眼球が此方を見ている。

 「お前に 殺されてやらう」

 何を思ったのか、極卒はその辺に転がっていた刀を抜いた。
 自分の刀だ。
 もう錆び付いて、ぼろぼろで、刃毀れまでしている。
 極卒はそれを捨てたり、新しい刀に替えたりはしない。
 刃毀れした刀は、それでもなお切れる。
 切り裂いた痕はずたずたになる。
 それを彼は喜んでいるのだ。

 「さあ」

 わたしの腕を掴んで引き寄せる。
 椅子ががたんと倒れて、わたしは極卒の胸に倒れこんだ。
 体温というものが無くて、ひやりひやりとしている。
 顔を上げると、にこりと極卒は笑った。
 わたしの手を取って、その刀を握らせる。
 ずしりと重い。

 「僕を殺せ」

 正気なの?
 いくら極卒といっても、切られれば死ぬのでしょう?

 「死ぬ気なの」

 「否、絶対に死なない」

 「死ぬよ」

 「好いからやってみろ」

 「厭」

 刀を放り出したいのだけれど、極卒がわたしの両手をしっかりと支えている。
 刃を握らせている。

 「さあ」

 「やめて」

 「僕が憎いのだらう?なら殺せば好い。」

 「厭よ、やりたくない」

 「なら其の侭握って居ろ」

 極卒が何をするか解らなかった。
 極卒の手に力がこもる。
 私の手がそれに逆らわずに刃を前進させる。

 「やめて・ッ!」



   ずぶり



 最初の感覚は、硬い軍服の裂ける重い感覚だった。
 鈍ら刀は鈍く裂く。
 それからすぐに、柔らかい皮膚と筋肉の割れる感覚。
 しっかりと、腱の切れる感覚が私の両の手を襲う。

 「ひ、ぁ」

 悲鳴を上げたいのだけれど、恐怖で咽喉が嗄れている。

 「ぁ゛ー!!痛いなァ、痛い!」

 極卒も極卒で、喜びの声を上げている。
 動脈を掠ったらしく、勢いよく赤い血液が溢れてくる。
 わたしの肌にも、服にも、飛んでくる。

 極卒はまだ攻撃を止めない。
 ずるずると、馬鹿みたいに刀は奥へと吸い込まれていく。
 裂けた口からだらしなく血が出てくる。
 最後に、ごつん、とまっすぐ脊椎に当たって止まった。
 わたしの手は解放されたけれど、代わりに極卒はまた床にごとりと転がった。

 「極卒・・?」

 さっきと表情が変わらない侭、刀が腹に刺さった侭、わたしを見ている。

 「死んだの…?」

 口から血の泡が出ている。
 真っ赤で、黒くも見えるその血液。
 愛しく、美しく見えた。
 そして、わたし自身も、その美しい血液に濡れていた。
 ぱたぱたと白黒床に落ちている。

 「死なないで」

 思いもかけない言葉が漏れた。
 憎い。
 兄を殺した極卒君。
 なのに。

 わたしは絶望していた。


 「死なないと謂った筈だらう?」


 にこりと笑っている。

 「僕は、死ぬことが出来ない。だから、死なないと謂ったんだ」

 堪えていた涙が落ちた。

 「極卒が死んだらわたし・・もう誰にも縋れないじゃない・・誰もいないのに・・!」

 「嗚、さうだらう」

 嗚咽が止まない。

 「僕の傍に居てくれるだらうね?」

 わたしはただ、頷いている他無かった。
 なんて醜い姿なんだろう。















 (君になら殺されてもいいなと思ったけど、死んでも言わない。/060826)




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